パクリとプロフェッショナル

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著者:Isaku
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技術を盗んだり、既存のアイデアを組み合わせる事によって新しいものが生まれる事があります。
イングヴェイ・マルムスティーンもひたすらバッハやジミ・ヘンドリックスの模倣を行うことで、彼だけのスタイルを作り出すことが出来ました。

しかし今回はそういうことではなく、クリエイターが受ける誤解について考えてみたいと思います。

クリエイターが受ける批判についてはこちらの記事も参照 

クリエイターや企業が受ける批判の種類・質・目的について考え、対策します。

ハイパーバラッドとwhere does this ocean go?問題

以前、菅野よう子氏が作曲した「where does this ocean go?」(「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.」収録)が、Bjork氏の「Hyperballad」に酷似していると話題になりました。ネット上では多くの批判が寄せられたように思います。

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このことについて考える時、批判や擁護をする必要はありません。
理由は簡単です。自分にとって何の役にも立たないからです。
そんなものは週刊誌やワイドショーに任せましょう。

何の目的で作品が作られるのか

そうは言ってもパクリはアーティストの風上にも置けない行為だし叩かれるべきなんじゃ…?いやいや国宝級のアーティストだから特別だし擁護しなきゃ…?

ちょっと待って下さい。そういった視点から一旦離れてみましょう。

where does this ocean go?とHyperballadを聴いてみると、イントロの入り方やリズムセクション、ベースの使い方はそっくりのように感じました。
サビのⅣーⅤーⅥのコード進行も同じです。
前者は明らかに「Bjorkサウンド」が意識されたように聴こえます。

この曲は菅野氏のオリジナルアルバムのために作られたものではなく、アニメ攻殻機動隊のサウンドトラックとして制作された楽曲です。

もしアニメの総監督から「この場面ではBjorkっぽい曲を劇中歌として流したい」というオーダーを受けたらどうでしょうか。

当然ながらBjork氏を思わせない楽曲を作ってしまったら発注に応じたとはいえません。
アーティストとして自分の個性を推したい欲望があれば、それは職業作家の責務を妨害するかもしれません。

もちろん「オマージュ制作は自分のポリシーに反する」と言って仕事を断る方法もあります。
また、「楽曲はあくまで映像作品のパーツの一つ」と判断してオーダーを受けることも出来ます。

誤解

デザイナーの例

デザイナーでも似たようなケースはあります。

「○○風に作ってくれ」というオーダーは日常茶飯事です。
アーティストとして個性を売りにしているデザイナーが前面に立つ企画でなければ、デザイナーはオーダーを的確に処理するのが仕事です。

ダサいものを作ってくれと言われて、それにちゃんとした理由があるのであればダサいものを作るのが仕事です。

アニメ制作の例

パクリとは違う例ですが、アニメーションなどでも視聴者からは制作の意図が見えない場合があります。
アニメの評判がいまいちでブルーレイの売上枚数が少なくても、原作のゲームの顧客単価を倍にすることを目的としているかもしれません。

声優さんが歌うキャラクターソングがヘタで酷すぎる、という事案もあります。
しかしそれはあくまでキャラクターが歌う作品としてディレクションされているものなので、声優さんがヘタかどうかなどは分かりません。

漫画の例

漫画でも「いつまでたっても絵が上達しない」という評価があります。

しかし、画風は作品の雰囲気を決定する大事な要素です。
わざと下手っぴな絵柄にしているかもしれません。
絵がヘタだと言われる大ヒット漫画の作画を美麗な漫画家に差し替えたら、果たして同じように売れるでしょうか。

優先するものがある

パクリと評され炎上したり、ダサいデザイン扱いされたりしてしまった時点である意味失敗していると言えます。
しかし、何事も完璧にできるものではありません。

攻殻機動隊は音楽作品ではなく、アニメ作品としての完成度が必要なはずです。
ダサいデザインでも、それで売上が上がり一部のデザインコレクターから批判を受けるのなら売上を取る、というだけのことなのです。

また、著作権の侵害(盗作)が疑われ、当事者同士で係争するレベルの事態ともなれば、それはまず失敗していると言っていいでしょう。
オリジナリティが求められる制作なのにオマージュどころかパクリだらけ…というのも非常に無意味です。

プロフェッショナル=後ろ指をさされる覚悟がある

制作業を生業とする人たちはどうしても「いつでも自分の好きなものを作りたいように作っている」と思われがちです。
マクロ経済に詳しいビジネスマンが、どういうわけか音楽の価値観がCDバブルの時代で止まっていたりします。(紅白に出て武道館でライブが頂点!のような)
夢を売る仕事として、売る側がふわふわとした神格化されたアーティスト像を描いてきたツケの一つかもしれません。

私にとってプロフェッショナルとは「その道で生計を立てる人」という言葉だけでも十分ですが、もうちょっと色気のある感じで言うと「後ろ指をさされる覚悟のある人」であると思っています。