アクティブノイズキャンセリングヘッドホンをモニター用として活用できないか試行錯誤する
- 2024.05.06
- 著者:Isaku
どうしてもヘッドホンを使わねばならない時にせめてアクティブノイズキャンセリング機能を使用することができないか、ということを試行錯誤した記録です。
私は現在はヘッドホンやイヤホンを殆ど使用せず、スピーカーで作業を行っています。
体感上において、スピーカーが最も耳への負荷が小さく感じるというのが理由です。
今回の記事は、どうしてもヘッドホンを使わねばならない時にせめてアクティブノイズキャンセリング機能を使用することができないか、ということを試行錯誤した記録です。
これらは独自研究の域を出ることはありません。難聴リスクに不安がある方はお医者さんなど信頼できる機関に相談して下さい。
経緯
幾分か前にモニターヘッドホンをリスニング用として使ってみようという記事を書いたが、今回はその逆とも言える試みだ。
私は随分前は(あまりスピーカーが鳴らせない環境だったため)屡々ウルトラゾーンの開放型ヘッドホンを使用していた。
スピーカーを使用する場合はTRIOのラージモニター(極端!)を小さな音で鳴らしていた。
現在はヘッドホンやイヤホンを殆ど使用せず、1組のニアフィールドのスピーカーで作業を行うようにしている。
請負の映像制作や自主的な音楽制作、また音楽や映像の鑑賞で、すべてにおいてこのモニタースピーカーが活躍している。
ヘッドホンやイヤホンは聴覚を鈍感にさせる?
ヘッドホンは聴覚への負荷が大きい気がするし、イヤホンなどを使用するとしばらく耳鳴りが残ったりする。
音源が耳に近いほど、大きな音に鈍感になってしまう気がする。
ヘッドホンやイヤホンが小さい音でも見つけやすいというのは音圧(ラウドネス)が上がるからではなく、人間が自覚なく音量を上げてしまうからではないかと予想している。
ふと気になり、何度か音量を測ったことがある。
聴感上で同じ音量であっても、1M離れたスピーカーよりもヘッドホンの方が6db以上大きな音になっており、イヤホンはさらに4db~6db大きくなっている感じがある。
大きな音に鈍感になるのは音源の距離ではなく、装着物から生まれるノイズによるマスキングや、閉塞感から来る心理的影響の可能性もある。
イヤホンはものによっては体内の音が聞こえるものもあり、無意識下による相当なノイズが発生しているかもしれない。。
しかしこれは民生用の騒音計を使用した素人計測によるもので憶測であり、科学的な根拠はない。
ヘッドホンやイヤホンの身体への負荷
そもそも本来は、ヘッドホンやイヤホンの耳や脳への悪影響を示す科学的論拠が必要で、それがはっきりしない限りはこの記事も無意味となってしまう。
が、それを書いていくとこのページが長くなってしまうので、別のエントリーで示すことにする。
科学的・定量的な話が絶対に必要というわけではないが、独自研究や個人の感想よりは比べ物にならないほど有用だ。
ざっくりとではWHO(世界保健機関)が音響性難聴のガイドライン(Making listening safe)を示しており、ヘッドホンやイヤホンが難聴の原因となる可能性は非常に高いといえる。
Do not turn the volume up to block out noisy surroundings. If you choose to listen to your portable device in a
noisy environment, use noise- canceling headphones to block out background environmental noise.周囲の騒音を遮断するために音量を上げないでください。ポータブル デバイスを次の方法で聴くことを選択した場合、 騒がしい環境では、ノイズキャンセリングヘッドフォンを使用して周囲の環境ノイズを遮断してください。
できるならヘッドホンは使いたくない。
それでもどうしてもヘッドホンが必要なシーン※において、せめて少しでも音量を下げることができないかと思い、カジュアルなアクティブノイズキャンセリングヘッドホン(長い)を試してみることにした。
環境音をカットできれば、マスキングによる音量増大を防ぐことが出来る。そして小さな再生音量でモニターできる。
※必要なシーン
- モニタースピーカーの音が信用できないシチュエーション(部屋の反響など)
- スピーカーを持っていけない場合(ロケーション収録など)
- 再生音と環境音のアイソレーションが必要な場合(レコーディングなど)
世の中に情報がないので自分で試行錯誤するしかない。
ちなみにバイノーラルマイクをM1STのハウジングに貼り付けてノイズキャンセルできないか試した事があるが、ノイズが大きくなるだけだった。
やはりそんな簡単なものではないようだ。
ヘッドホンの選定
Shure AONIC 50 Gen2
最初はあまり深く考えず、モニターライクと言われるShureのAONIC 50 Gen2を試してみることにした。
まずはパッシブの状態で有線接続してみると、思ったより変な感じでもない。
次はANCをオンにする。
定位がかなりおかしいのは空間オーディオの機能のせいなのでオフにする。
ノイズキャンセリングはざっくり20db程度の減衰の効果があるようだ。(RTINGS.comの測定結果より)
音楽を聴いてみるが、ドンシャリにチューニングされており全く以てモニターの音ではなかった。
世間でいうところのモニターライクという言葉を信じてはいけない。
しかしアプリを使用してEQで補正すると、いつもの聴き慣れた雰囲気の音になった。
このEQは本体に内蔵しているようで、有線接続でも効いている。
この感じなら案外いけそうだと思ったが、試しにダイナミックマイクの集音におけるモニタリングを行ってみると大きな遅延があることに気づいた。
おそらくEQはDSPによるもので、処理に時間が掛かっているものと思われる。
RTINGS.comによると38msのディレイがあるようだ。
これでは実用は難しい。
SONY WH-1000XM3
ではそのRTINGS.comで遅延が殆どないとされるSONYのWHシリーズではどうか。
SONY WH-1000XM3を仕入れたので早速試してみる。
こちらは約250gと軽く扱いやすそうな感じだ。
音質をチェック~EQで補正
また音楽を聴いてみる。
パッシブ状態はかなりスカスカとした変な音だ。
ANCをオンにするとShureよりもかなりノイズキャンセリングが効いている感じがする(27~28db程度の減衰)。
高音域は殆どカットされずパッシブで遮音されているだけの感じがする。
低域はかなり減る。
しかし音質は相当なドンシャリで、2.3k辺りが強烈に落ち込んでいる。
EQで補正を試みる。
こちらはDSPの処理ではないようで、専用アプリのEQはおそらくソフトウェア側の処理と思われ、有線では使用できない。
なのでBabyface Pro FSのヘッドホンアウトのシェルビング/ピーキングEQを使用する。
問題なのは何をターゲットにするか。ハーマンカーブなどを目指すのか。
厳密にやるならいつも使用しているスピーカーを測定し、それに合わせるソリューションを利用する手もある。
とりあえずは目の前のモニタースピーカーをリファレンスとし、聴感上で同じ音になるようにEQを調整していく。
またネットに掲載されているWH-1000XM3の周波数測定結果も大いに参考になる。
試行錯誤した結果、こちらもEQを調整することで聴き慣れたサウンドにすることができた。
相当な補正量だが何故か不自然さはあまり感じらず、原音をなかなかに再現できている感じがする。
ただソースによっては高音域が曖昧になる。
M1STの高解像な感じとは違い、やや価格帯を落としたモニターヘッドホンのような響きとなる。
殆どの場合は低質さを感じず、自分としては許容範囲内とした。
一番の問題だと思っていた定位や位相・イメージングも、昔のANCヘッドホンと比べると相当に改善されているようで、不自然さが感じられない。
ナレーション単体の音をチェック
次はDAW上でナレーション単体の音をチェックしてみる。
やはりM1STの方が高音域の詳細が分かりやすい。
が、WH-1000XM3+EQがまったくディテールがわからないような音ではない。
いつものスピーカーの音に近く、扱えないような感じではない。
定位は思ったより良く、M1STと比べてもむしろ把握しやすいくらいに感じた。
そもそも比較対象のM1STも音場が広めであるからなのか、センターの定位には改めて若干の違和感を感じてしまった。
900STや7506の方がより平面的でかっちりしていたように思う(現在は手元にないので分からない)。
今でも十分大丈夫そうだが、WH-1000XM4やXM5の方が更にイメージングは改善されているらしいので、試してもいいかもしれない。
また、空調が働いている仕事場でチェックを行ったが、ノイズキャンセリングのおかげでソースの音にかなり集中しやすかった。
自分にとってはこれが一番大きいアドバンテージとなる。
生音の位相問題
次はダイナミックマイクの音をモニタリングしてみた。
自分の声を収音する想定だ。
遅延はないが自分の声が小さく細くなり、センターが無くなったような音が聴こえる。
アクティブなノイズキャンセリングは、ヘッドホンについているマイクが環境音を拾いそれを逆位相にすることで周りの音を相殺している。
自分の声もヘッドホン付属のマイクが拾う。
その逆位相に処理された自分の声とダイナミックマイクで集音した声が打ち消し合っている状態となったため、自分の声がモニタリングできなくなっていると思われる。
逆位相の音のエネルギーは使い切っているはずだが、現実としてモニタリングできていない。
とりあえずはダイナミックマイクを接続しているチャンネルストリップの位相反転スイッチを押すと、ちゃんと聴こえるようになった。
今度は骨伝導の自分の声が少しキャンセルされているのか違和感はあるが、そもそも自分の声や集音ブースが分かれていない条件の音源を完全にアイソレーションして聴くことは難しい。
これなら実用できそうである。
なぜANC機能をもったモニターヘッドホンが殆ど存在しないのか(プレソナス Eris HD10BTくらいしか見つけられなかった)が分かったかもしれない。
こういった問題があるからだと思われる。
ロケーションではどうする
EQと位相切り替えにより、一応は理論上において実用できそうな感じまで持っていくことができた。
これらはすべてBabyfaceProFSで処理しているが、Babyfaceを持ち出せない場合は困る。
EQ付きのポータブルヘッドホンアンプなんかに頼ることになるが、これは数が少なくメジャーなところだとShure SHA900位しかない。
さらに位相変換機能がついているものなどあるはずもない。
また、本来は生音のモニタリング用のソースのみ位相を変更するべきで、その問題も解決していない。
ただこれは厳密さを追求せずともよく自己裁量を持つクリエイターにとってはあまり問題にはならないと思う。
Portacapture X6
Tascamのフィールドレコーダー Portacapture X6 であればマイク入力やライン入力に対してこれらの処理を行うことができる。
こちらをヘッドホンアンプとして活用する。
入力ソースに対してそれぞれ4バンドのEQと位相反転ができるようになっており、EQは帯域やQの調整が可能だ。
乾電池で動作するし、そこそこ軽い。
また当然ながらセーフティなバックアップ録音もできる(処理済の音を後で出来る限り戻す必要があるが)。
プリセット機能もあるので切り替えが容易で、いざという時に本来のXYマイク付きフィールドレコーダーとして活用することもできる。
ただ自分はできることが多いと迷いが増えて欲が出てしまうのであくまで非常用としておく。
いろんな人から怒られそうな使い方だが、今のところ他にいい方法がないので許していただきたい。
リファレンスを持つ理由=安心
モニターヘッドホンの存在意義に関しては寺田康彦さんのインタビューが参考になる。
自分で信用できる製品を持つことです。リファレンスを持つ理由は安心が欲しいわけだから。
寺田康彦氏に聞く、ヘッドホン・モニタリングに求められること ~SHURE SRH1840、SRH1540のインプレッション~
モニターヘッドホンといってもメーカーや製品によって違いはあるわけで、全ての機器で同じように聴こえてくれるわけではない。
なので自分が設定した基準を超えているものを選び、その製品に対する信用を作る必要がある。
要はある程度の品質を備えたヘッドホンを選び、身体に馴染ませる事で自分流の確かな基準を作り、安心を得るわけだ。
使い慣れたヘッドホンであればコンプやEQの違いもすぐに気づく。
が、初めて使うヘッドホンだとよくわからなくなることもある。
完璧なリファレンスなど存在しないが、こんな邪道なシステムは信頼できないという人はそれだけでやめておくべきである。
パッシブノイズキャンセリングはどうか
EQと位相反転くらいしか工夫がないものの、ノイキャンヘッドホンをモニタリングのために使うために試行錯誤し、とりあえずは実戦投入し始めた。
自分の仕事場で使っている限り、今のところ問題は発生していない。
そもそもヘッドホンを使用する機会が少ないのだが。
ここまで面倒な事をする必要があるのかというと微妙なところである。
高遮音性を謳うパッシブのみのノイズキャンセリングヘッドホンがあり、昔から皆そちらを使用している。
これらは構造上、低音域のカットが苦手(特に100Hz以下は減衰できない)で質量も大きく、また側圧も強い。
その代わり高音域の減衰や素早い音(破裂音など)にはアドバンテージがあり、もちろんバッテリー管理も不要だ。
近年ではイヤーマフカスタムがされたHN-7506やUltraPhones、AC Gear Super Isolation Cansなども登場した。
UltraPhonesは400g程度の重量で29db削減を謳う。
AC Gearはリーズナブルだ。
これらはおそらくスリーエム社のような企業が販売している聴覚保護具(イヤーマフ)とモニターヘッドホンを組み合わせている。
イヤーマフPELTOR H10Aは、125Hzで22db・1kHzでは38db減衰させる。
ヘッドフォンを自作する
材料を集めれば自分で作ることも可能だが、検証がされていないものは慎重に取り扱うべきだ。
他にも、高遮音性イヤホンを使用する方がずっと手軽で、こちらは低域から高域までカットしやすい。
EtymoticやShure、Audio-Technicaなどのモニターイヤホンは耳栓のような構造となっていて、遮音性に優れている。
Etymotic ER4XRは非常に遮音性が優れているイヤホンで、今回のWH1000XM3のANC以上の成果を発揮する(全域でざっくり32db程度減衰)。
自分も予備モニターとしてバッグに入れている。
しかし外耳道・気圧の影響、つけ心地、接触ノイズ(Shure掛けでかなり減らせるが)、着け外しの煩わしさ、普段使用しない機材に対する不慣れ…。
などというデメリットがある。
そして大きな音にしてしまいやすい(と思う)ため、なるべく着けたくないと思っている。
規格に準じた表示
聴覚保護具とは違い、ANCヘッドホンはあくまで音を聴くための道具だ。
なのでノイズリダクションに関する明確な規格に準じた表示がない。
現状のまとめ
聴覚を守りたい
- 大きな音に長時間晒されると難聴のリスクがある
- ヘッドホンは聴覚への悪影響が大きく、イヤホンはさらに問題があるかもしれない ※不確定
- モニターヘッドホンを使う場合になるべく音量を下げたい
- 環境音を小さくすることでマスキングを減らし、再生音量を下げられる(アイソレーション)
- 今回はアイソレーションの方法としてANCを試すことにした
モニターヘッドホンとして最適化
- ANC性能や遅延の問題から選んだのはWH-1000XM3
- EQで調整すると許容範囲の音質に
- 定位や音場は問題ない
- 生音収録における位相問題の対処が必要
アクティブノイズキャンセリングヘッドホンの一長一短(パッシブと比べて)
- 軽量で取り回しやすいものが多い
- 側圧が弱いものが多く、つけ心地がよい
- 機器と装着者との接触ノイズが非常に少ない(グググという圧迫音)
- 低音域のキャンセルが容易
- 高音域(1kHz以上)のキャンセルはほぼ行われない
- 破裂音などの防護には対応できない
- モニタリング用途を想定して作られた機器が皆無(構造的に向かない)
- バッテリー管理が必要
色々脇道に逸れたがおかげで収穫もあった。
今後は今回作ってみたシステムを運用しつつ、強力なパッシブのノイズキャンセリングヘッドホンも比較して評価を行っていく。
また耳栓型イヤホンを使用する際にも音量を絞るトレーニングを行っていく。
耳や脳を守りたい人は色々と試してみる価値はあると思う。
その他参考文献
騒音障害防止研究会 » ヘッドホン・イヤホンによる音楽聴取